平成の世も二十年以上が過ぎ去った。「昔は良かった」と呟くことが多くなってきた今日この頃。会社の若い社員に昭和の話をすると「それってシャツをズボンの中に入れてた時代の話ですよね。ダサくないすか?」言われて気が付いた。私たちの世代はきちんとシャツをズボンに入れないと「シャンとすーだわ」としかられた。遺伝子の中に「シャツはズボンの中」が埋め込まれている。最近の若者にとってそれは古い昭和の価値観で。「ダサい」ものとして位置づけられているようだ。試しに自宅の鏡に自らのシャツ出しルックを写し出してみたものの、突き出た腹を覆うそれは妊婦のマタニティドレスのようで見る影も無い。やはりシャツは中。昭和がしっくりくる。とは言うものの、「シャツは外の文化」への憧憬も否定できまい。未だ煩悩に揺れ動く五十代なのである。

 さて本題。今にして思えば滑稽でもあるがどこか律儀でまとまっていた時代。いつまでも記憶にのこる珠玉の時代。そんな愛すべき昭和の情景に想いを馳せる昭和ノスタルジー。今回のテーマは「銭湯」。裸の付き合いの中にも暗黙のルール。番台、富士山の壁絵、コーヒー牛乳。様々な代名詞の中に息づく昭和の残像に思いを寄せる。

その1 明るい銭湯のイメージ 「ドラマ・時間ですよ」

 銭湯を身近に感じた最初の出会いはテレビだった。昭和四十年代中頃から後半放送され、その後何度もシリーズ化された「時間ですよ」。銭湯を舞台に繰り広げられるコメディ番組で天地真理、浅田美代子といったスーパーアイドルを世に出した。とてもよく出来たドラマで話の筋をとりまくように所謂「お約束」ともいえる様々なパターンが折り込まれていた。

 堺正章と悠木千帆(後の樹木希林)のコント。物干し台で歌う隣の真理ちゃん。その中でも「徳さん」なる人物(江戸屋猫八)が毎回、女湯に乱入するシーンが展開される。その瞬間、笑顔のお茶の間にいきなり「お色気=エロ」のエッセンスが放り込まれるのだ。

 重い空気と沈黙の中、父はニヤケ顔、母は席を立ち、婆さんは無表情。兄は不機嫌な表情ながら視線ははずさない。それぞれが毎回、いつ来るかとタイミングを予想し妙なスリルと緊張を生み出していた。これも演出家の狙いなのか。思春期真っ只中の私といえば毎週毎週、涙と笑いとささやかなエロスのスクランブルを受け入れていくうちに、銭湯に行って見たいと思うようになっていた。それは番台へのあこがれ、女湯への妄想だったかもしれないが、のれんの向こうにある様々な情景(前述のコーヒー牛乳など)に大いに好奇心をそそられたのだ。

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